就職行動
目次
- 社会は厳しいものじゃない
- 仕事はできなくていい
- 自己評価を下げない
- 自分を追い込む
- 人生は一度きりじゃない
- 金はやる気も生み出す
- 行動しないことが最も損
- とりあえず受けてみる
- 大胆にいきましょう↑Heart & Soul↑
社会は厳しいものじゃない
引っ込み思案で、気の小さく、大人しいタイプの人のために言いますが(なぜなら私も同じタイプであるためです)厳しいだとか、甘くないだとかいう言葉に騙されてはいけません。
こうした言葉を真に受けると、真面目すぎる君たちのことだ、ビクビク小心翼翼、余計に前へ進み出せなくなるに決まっている。
そんなに真面目に捉えないことです。これは下にいる者を上から抑えつけようとする言葉でもあります。 それにこの言葉を使いたがる人からすれば、社会は甘くない、けれども俺はそんな中でこうして頑張ってやってるんだぞ 、どうだ偉いだろ的な意味が多少なりとも含まれているからです。
そんな匂いを嗅いだら直ちに鼻をつまんでください。悪臭がするったらありゃしない。
大したことないぞ、大したことなんかあるもんか、俺はやってやる、そして社会なんて別に恐くもなんでもない、と言ってやるさ、それくらいの意気込みで進むべきでしょう。
仕事はできなくていい
はい、できなくて構いません。長い空白期間あけにいきなりできるわけがないのです。自分に期待してはいけません。 頑張らなくちゃとか、自分を必要以上に良く見せようと肩に力を入れる必要はございません。気楽にやればいいのです。意外とできるようになったらもうけもの、そんな思いでいてください。
それにすぐにできるよりも徐々にできるようなった方が好印象なのです(中途入社は即戦力が求められますがそんなことどうでもいいのです)。何事もそう易々とはいかない方が、実はその人にとってためになるのです。
仕事に関してもそうで、なかなか上手くいかない方が、すぐには決まらない方がのちのち得をするのです。そう思い 、そういうことを楽しむ姿勢というのも大事なのではないでしょうか(まぁ、今、切羽詰っていて焦る気持ちも分からなくはないですが。それに年齢が高いと後がなく、どうしても早く結果を求めてしまいがちなもの)。
また、何かを成し遂げた時に、その喜びを噛み締めることができるのもこの種のタイプです。生きる喜びを、ある意味 、射精なんかよりも強烈な快感を得ることができるのもこうした人達です。なぜなら、そうしたものは、できないことありき、その苦しみが前提になっているからです。
逆に、トントン拍子に物事が上手く運んでしまえば、ずっとそのように挫折も何も経験せずに育った人はそうした喜びに対する免疫ができてしまい、打たれ弱く、また、できない人の気持ちも分からず 、どこかでそうした人を見下すような、気付かぬうちに傲慢な人間になってしまうものです(なんでもできれば、それこそ、より大きな何かを求めて、偉人になることもあるでしょうが)。
できないことや上手くいかないことを何度も経験してきた人は、その分、他人のそうした気持ちに敏感な心優しい人にもなれるのだと思います。もちろん、めげたり、へこたれてしまえば、そこまででしょうが、耐え続けることができれば、それは何ものにも代えがたい糧となるのです。
さぁ、失敗を恐れてはいけません。そんなことは大したことでないのです。逆に失敗するつもりでやるくらいでいい。クビを切られはしないか、などと何を怯えることがあろう。そもそも私達には、ネットが、この広大なweb世界がバックについているのですから。
自己評価を下げない
暗く後ろ向きなことを考えていると実際そうなってしまいかねません。
自分はダメだダメだ、自分は必要のない男なんだ、こんな何の価値もないような僕でも雇ってさえくれるなら、 それだけで十分なんです、なんて思い、自己評価を下げれば、実際そんな人間に成り下がる。その程度の人だと周りに見られてしまうのです
あぁ、悲しい哉、我が友よ、君たちは自分を過小評価し自分自身を苛めてばかりいるために、まるでそれが 趣味といっていいほどの段階に来てしまっている。何もそこまで自分を卑下する必要なんかありません。自分は褒めるものです、自分は自分で伸ばすものです、貶すものじゃありません。
会社選びにしても向こうに合わせる必要はありません。こちらが選ぶのです。主導権は、人生は常にこちら側にあるのです。
自分を追い込む
このままではダメだ、いけない、なんとかしなくては、と自分を追い込み続ける。そして焦らせる。焦りをパワーに変えるのです。
人は追い込まれれば追い込まれるほどに、その真価を、潜在能力を発揮できるようにできているもの。どうにかしなくてはという必死さが、その人の脳に伝わると、脳もそれに応えるべく頑張ってくれるのかもしれない。
ということは追い込まれた立場にいる人の方が成長が早いということだ。今、その立場にいる私達、遅れてきた新人類の方が伸びしろがあるということだ。ピンチはチャンスということです。
反対に、すでにある程度の立場に立っている人は、そこに胡坐をかいて安住してしまう可能性が高い。人は何処かでこれくらいできれば十分だと判断してしまいがちだからです。
彼らがガチガチの本命馬であるとするなら、私達は穴馬。それだけ甘く見られている存在ということ。しかし、レースというのは一体、何が起こるかわからないもの。そう思わせておいて、ためるにためた末脚を炸裂させるのだ。そのためにも私達はとにかく何処かへ所属、レースに参加しなくてはならない。そして虎視眈々とチャンスを狙うのです。
それに追いかけられる立場というのは、追い付かれたくないがために、どうしても守りに入ってしまうもの。けれども追いつこうとするのは完全なる攻めです。完全なるS、どSです。そう考えると追いかける立場にある私たち伏兵馬の方が俄然有利なのです。
私達は穴馬であり長期休み明けの馬。いきなり勝てる実力を備えた馬もいれば、レースを使いつつ徐々に調子を上げていく馬もいる。中にはそのまま勝てずに終わる馬もいるのは確か。
その状況に溺れてしまっては、もう無理だと諦めてしまっては、そこで終了、大事なのは這い上がろうとする意志です。 そうすれば少なくとも今現在よりも良い状況にはできる、いいや、するのです。
私達は常に焦っている。もっともっと良くしていかなくてはと。また、その気持ちを忘れてはならないのです。どこまでも飽き足らない気持ちを持ち、 どこまでも自分自身を突き詰めていけ。
あぁ、それにしても、君達はさっきからどこまで自分を追い詰めれば気が済むんだ?思った以上だぞ? やれといわれればいつまで立ってもやり続けてしまうのだからね、やめろといわれるまで(それだけ忍耐力が強いんだろう。それを生かせることができればなぁ)。
分かった、もうそれ以上考えるな、そこまでにしとけ。君達はただ単に自分で選択し決断するのが苦手なだけ。自分を追い込むなど常日頃からしているに違いない。結局は、案ずるより産むが易し。 行動は思考よりもアッサリとして単純なのだから。一歩、踏み込めるかどうかだけ。
まさか君達の目にはそれが、行動すること自体が結局は楽をしているように映るのか?おやまぁ、なんて捻くれ、、いいや、なんて繊細で敏感で風変わりな感受性をお持ちなのか、そしてまた、なんて真摯なのだろう。勿体無い、そのストイックさとタフさがあれば、君達はなんでもできる、耐えられる。さぁ、もう調教は十分だ。全国の無職者よ、出走せよ!
人生は一度きりじゃない
はい、そうです。私はそう思います。ただそれは繰り返されるのです。同じ人生が何度も繰り返される、というか繰り返されてしまうのだ、と私はそれが厳然たる事実であるくらいに強く確信しています( ということは厳密的には人生は一度であるようなものとも言えるが)。
つまり私の中には生まれ変わるという概念はない。そんなわけがない。死んだらまた同じ自分として産声を上げ、そしてまた同じ人生が細部に渡るまでまるっきり同じ選択をし迷い悩み決断をする、それら全て見事にまるまる再生されるのです。何度も何度も!
これはどういうことを意味するのか。良い思いをした人はそれを何度も味わえるということ。 逆にそうでないなら辛い思いを何度も味わわねばならない。
諸君、それでいいのですか、今のその状態がいつまでも続いていて良いのでしょうか。私は嫌です。私はできることなら外で羽ばたきたい、このまま終わりたくはないのです。私はあくまで現実に固執する。アニメや妄想よりも生身の肉体が好きなのもそのせいです。
実際に触れることのできる存在を捨ててアニメやゲームなど架空のものに走っていて良いのでしょうか。それは間違っている。その方向は明らかに間違っています。
生きている以上、同じ時を共有し生命の通った人間を相手にしなくては生きている意味がないやないか、しかし!歳をとって手遅れになる前に動くしかないのです。
とにかく参加する、紛れ込む、どうなってもいい、KYといわれようが、あいつはなんて情けない三十代なんだと思われようがキモがられようが(このまま成長せず四十代になればもっとキモがられます。早く動いたもの勝ちなのです)、そこにいたという生きた証を残すのです。 だれにも親兄弟以外のだれにも知られずに死ぬだなんて悲しいと思いやしませんか(それに親かて先に死んじまうんでしよ)。
金はやる気も生み出す
金は金を産む。つまり口座に預ければ勝手に利息が貯まる。そのため金は生き物にもたとえられる。けれどもそれだけでなく、ネット収入の「お金とは」の項目で語ったように心の余裕を生む上に、金はまた人のやる気を生み出す。
金は具体的な姿をした数字でもあるわけなので説得力を持ち、またそれだけに目標を設定しやすい。今年は100万円貯めてやるぞ 、など自分のモチベーションを高めるのにもってこいなのだ。仕事も頑張ろうと思えるし貯金通帳を眺める楽しみもできる。仕事は自分を高め成長させ更には給料まで手に入る。
良いことしかない。若ければ若いほど良い。それだけ失敗も大目に見られる。成長できる余地もある。歳をとると何も言われなくなる。冷ややかな眼で見られるだけ。それはなんて惨めなことだろう。
長い間、仕事をせずに部屋にこもっていた私は本当にお馬鹿さんでした。せめてマクドナルドのアルバイトをすればよかった。学生の頃は勉強が嫌いだったのに、大人になってからようやくその面白さに気づくように、今頃になって私はマクドのバイトをして年上の大学生のお姉さんに後ろから抱きついたり、甘えたりしたいと猛烈に思っている(昔から思っていたしよく妄想に時間を費やしたがしかしそうしたことを目当てにやるのは実際、不純であります、と無駄に生真面目で純粋な若葉の頃の私は同時にそう思ってしまっていたものである)。
無論、それはもう不可能なこと(人は選択可能な時にはなぜかそれを選ばなかったりするくせに、それがもはや入手困難だとか、その選択肢がなくなってようやくその重要性に気づくかなんかしてそれを強く欲し出してしまうやっかいな生き物である)。私はすでに彼女よりも10以上も年上なのだから……。私がまだ19歳であったなら、せめて20代であったなら……、さぁ、皆、こうなる前に!
行動しないことが最も損
この世で何が最も損かって、そんなもの行動しないことに決まっているじゃないですか。ネット収入でもやらなきゃ損だとか散々いってきましたが、人生において何が一番、損ってそれはリアルで行動しないことに決まっているじゃないですか。
ポイントサイトやアフィリエイトなどに手を出さなくてもリアルで少しでも行動すること。ネットの成功よりリアルの成功(それが些細なことであれ)、ネットの1,000歩よりもリアルでの1歩なんです。私はあくまでリアルにしがみつきたい、リアルでなんとかしたい気持ちが強い。本当はネットよりもリアルが好きなんです。肌と肌で触れ合いたい、お話をしつつ吐息をかぎたいのです。ぽわぁんと、うっとりしながら、リアルな生を感じていたいものですよ。
とりあえず受けてみる
私が初めて職に就いたのは28を過ぎた頃のことだったでしょうか。それまでバイトも作業系(仕分けなど)くらいしかやっておらず、その日数とて極僅かで、何もしていないも同然でした。
それでもある時(面接に行くまでかなりの時間を要したのですが)、思い切って受けた会社に就職できたのです(面接に辿り着くまで私は、ノートに様々な思いを書き綴っていたものです。そしてそのノートを公園のベンチで事前に読みながら自信をつけたのでした)。何が起こるか分からないものですね(一年ももたずにクビになってしまいましたが)。
正直、入社すると自分の至らなさ、他の人との歴然たる差を痛感するもので、そこからどう粘り強く耐え、成長していけるのかが課題なのですが、とりあえず受けなきゃどうしようもない。競馬にしても賭けなきゃ始まらない(競馬は簡単に賭けられますが)はじめの一歩を踏み出せるかどうかです。
受かるかどうかではなく、その先を見据えることです。入ったら、絶対やってやる、負けません、みたいな。今この時でなく、もっと先を。そうすれば、受かる受からないという目先の問題に心を奪われず、自然体でいられるのではないでしょうか。
大胆にいきましょう↑Heart & Soul↑
偶には思い切った冒険に出るのも良いでしょう。
たとえば綺麗な女性目当てで受ける(ちなみに私は、コンタクトレンズ屋さんを受けたことがあります。これは男性社員も偶にいるのでオススメです。実際に制服を着て働くレディが面接をしてくれますよ。結果はもちろん不合格です。接客という明るい職場は、私の憧れですが、どうも私には向いていないようです。困ったことに、私が、お客さんのようになってしまいますよ。でも実際、慣れだと人は言うので、それを信じることも大切でしょう)。
君達は真面目だからそういう抜け目のなさも大事かもしれない。面接に行けばそこで働く女性に出会えるのです。それを見るだけでも楽しい、と思えるようになろう。
また敢えて、女性の多い職場を受けてみる。これは非常に勇気のいることで、実際受かってしまったらチビリそうですが、もすかすると綺麗な女性が面接官、なんてこともあるかもしれません(これは、その場限りですよ、その場限りの割り切った関係なのですよ)。
女性のことばかり書きましたが、女性にあまり興味を持てない人は、面接に受かることが目的ではなく、何か他に自分の興味のありそうなことを目当てにしてはどうでしょう。
たとえば大企業、しかも受かる見込みのサラサラないようなところを見学、物見遊山な気分で、新卒の頃の初々しい気持ちに帰って面接に出かけるのです。万が一ということもありますし(この世はなんだって起こりえるのです)、別に遠慮することなんかありません。叱られたり嫌な面接官に出会ったらブログにでも書き込んだら良い。誰も来てくれないなら私が見に行きますよ。