100円に泣く
たかが100円されど100円なのである。
これ以上賭けるとマズイなぁ、こいつも来そうだけど外れたらまた資金が減ってしまうものなぁ……、だなんて思って結局、肝心なのを取りこぼしてしまう(点数を絞るのことはいい。けれどもそれはそれだけ自信のある場合に限られる。本当はこの馬も買いたいのだけれどもお金に余裕がないからあきらめるのとはワケが違う)。
つまり、ケチケチしている。資金力がないと、残りのお金を気にしがちになってしまう。彼の最大の関心事はいつだって「財布にあといくら残っているか」だ。
こうならないためにはもちろんある程度の資金、余裕が必要である。資金が少ないために人は、ケチケチしてしまうものだ。思い切れない。常に失うことを恐れ、思い切ったことができない。
これでは囚人である。手枷足枷はめられた囚人つまり、まるで自由ではない。もっと自由に生きるべきだ。私たちはもっと自由に空を羽ばたくべきだ。自分で自分を不自由にしてどうする。資金、残りのお金など気にもとめずに勝負する、それが男ってもんじゃないのか。危険ではあるが、この潔さは魅力的だ。
たかが100円されど100円。その100円を生かすも殺すもあなた次第、あなたの手にのみかかっている。