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「直感と理論」

直感2〜逃した魚は大きいぞ!〜

どちらかと言うと私は直感派に属するのかもしれない。それを確信したのは2005年ディープインパクトの優勝した皐月賞でのこと。

私が新聞と睨めっこし、友人に「なかなか閃かない、直感が降りてこないんだ。」「でも来る時は本当に来る 、ピンと来ちまうんだ、ピンとね。」などという台詞を何度繰り返したか知らないが、その時、二着にやって来たのは、皮肉にも?シックスセンス(第六感)であった。そう、答えがやって来たのである。やはり直感なのだと。

以来、私は自分の閃き、直感というものを大事にし 、それを磨き、研ぎ澄ますことだけに力を入れて来た。今ではそれもかなり板についてきたようで(馬の脚質転換中によく聞く言葉) 、漠然としたものが、徐々に形を明らかにし、終いには、輪郭の分かるくらいはっきりとした形で私の目の前に浮かぶのである。新聞に書かれた馬の名前が3Dのように浮かび上がり、くっきりとした文字で、私にその存在を主張、知らせてくるのだ。

それが正しい答えなのかそれとも気のせいなのか、そこは大変曖昧であり定かではない。そこは、アソコのそれは、大人の快感を探るかのような微妙で繊細な感覚なので、もう少し正確性を高めなくてはならないとは思っている。まだまだ修行が足りないようだ。

そうではあるが、もちろんデータを勘案することも怠らない。相手関係、こいつなら勝負できる、などなど。私は諦めない、最後まで考え続ける、答えは出るはずだと。それはあるいはとてもしつこく、ネバネバしているので醜く映るかもしれない。一言で言えば必死 、これなのだ。けれどもそうでなくては、結果は出ない、出せない。人生も必死で生きなくては。必死で走ったあとのコーク(コカ・コーラのこと)を味わうためにも全力で!満腔で!

そして額と精神に苦い汗を流すほどストイックに考え抜いたあと、レースの直前になって突然、私をハッとさせるものが、人間存在の奥底の可能性めいたそれが降りてくるのです。

そんなことが度々あった。私はその都度、震えながら耳に挟んでいた赤ペンを手に取ったものだ。心臓は予想の純粋性、完璧さに興奮してバクバク鳴り響く。体も疼いている。しかし、もちろんそれは甘い。女性に甘噛みされたようなもの。

競馬は二度楽しめる。予想前の興奮とレース本番の興奮とを。味わいたまえ。生を、自分は今こんなにも生きていることを(セックスと同じ!)。

それから私の場合、例えば私がしゃがみ込んで考えている時、目の前を白い太腿が通ったりなんかすると、私は欲情、興奮するわけだが、この興奮作用は予想に集中している時の興奮と相俟って 、一気に高みに上り、昇華し、予想の花を咲かせることが儘ある。

一見、人は身近なものに弱く、ましてや男は女に弱い生き物なので、目の前の女に目が眩み、どうでもよくなり 、競馬を投げ打ち、女の尻を追いかけ耽溺してしまいそうなものだが、確かにそうなる場合も多々あるが、

しかしこれは諸刃の剣でもあり、女に対する欲望を股間と精神で受け止め、愛で、優しさで赦し、そう、全てを赦し、分かり易く噛み砕き、柔らかくしてから自分のものとし、上手くコントロール、そのパワーを予想のそれへと変換する(自分でも何を言っているのか分からなくなってきたぞ。しっかりしろ、ここから立て直せ)、

もしくはその女に対する欲求、興味、興奮をそのままに競馬に対するそれらと合算、一つの大きな欲望、より大きな川の流れにしその流れに乗って、勢いそのまま難解な問題を解決、大きな利益、結果を産むことが可能だと言える(テーマが大きくなってきたぞ)。

あるいはまた、競馬に対する欲求、儲けたい欲があからさまに出てはいけないので、そこで女性に対する欲望に気持ちがいくと上手く誤魔化され、抑え込まれ、何を目指しているのか曖昧になり、丁度良い按配になることで良い結果に結びついているとも言えよう(でも本当のことなんだ)。

興奮作用の効果が如何に大きいかは、競馬場へ赴いた方が良い結果が出ていることが証明している(最後はバテてしまった感がある)。

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